【そりゃ正直、純潔な女のふりをしたい/雨宮美奈子】 第2回 『無印良品の下着を平気で脱げる女』

COLUMN

風呂から上がるたびに、わたしはいつも小さな選択を迫られる。
脱衣所の洗面台の下にある引き出しを引けば、そこにはぎっしりとわたしの下着が詰まっている。

さて、今日はどのパンツを履く?」というお話だ。

履き慣れたコットン生地のカルバン・クラインは、締め付けもなく快適なのでついつい手が伸びる。最近では若者を中心に再び流行もしているようで、下腹部に人の名前まんまのロゴが入っているってのもどうなのと思うが、どうやらおしゃれな感じで認識されているようだ。ただ、スポーティ過ぎて男性の前で見せるにはどうなんだろ、という気持ちになる世代違いのアラサーのわたしなので、とりあえず『そういう用事が』なさそうな時の鉄板選択肢となっている。

レースを繊細にあしらった、シルク生地を使ったそれはそれは贅沢なイタリア製のTバックは、気に入って色違いを3枚も持っている。しかし必要以上にお尻が目立ってしまう気合いに満ちたデザインは良いとして、最近は食い込みがちょっと苦手で敬遠しがちではある。まあ、食い込むぐらいなら痩せろよって話でもあるけれどもさ。

あと貧乏性のわたしが「パンツ1枚で〜万円なのだし、あまり使いすぎると劣化早まるから、出来るだけ使わずに取っておきなさい」と顔を覗かせる。ってことで、これは必要な時だけ。要するに、夜のエース。

男性の前でお見せする用事が発生しそうだわ、なんてときにいい塩梅のパンツもあれば、ちょっとこれは人前では見せられないけど履き心地が最高だから家用、ってのもあるし、はたまたスキニーを履くから線が気にならないように機能性重視のときはこれ、というものもあり。

なんて感じで誰しもが皆、下着の中に1軍2軍や役割があったりするものだと私は信じている。だって、すべてを美しい1軍で揃えるのは、いささか息苦しい。ついでにちょっと、わたしのお尻もレースが食い込んで苦しい(だからそれなら痩せろって話なのだけれども)。

ただ、「人前で見せるものは、ある程度ちゃんとしたものを」という思考だけは常にある。特に、要するに、男性の前では。そんなに気合いの入ったものでなくてもいいから、せめて幻滅されない程度には、きちんと性の匂いを感じさせるものでなくては。
それぐらいは、相手へのマナーよね、と言わんばかりにわたしは信じ込んでいたのだった。

しかし、とある日。
ぼーっと眺めていたTwitter(ちなみにわたしは頑なにXとは呼ばない)に、無印良品の下着の広告が流れてきたその時の話。
そこには化粧っけがない女が立っており、無印良品の下着だけを身につけてこちらを見つめているといった写真だったのだが、わたしはその写真を見た一瞬のうちにして頭が殴られたような衝撃を受けた。

そして思った、「わたしはこの無印良品の下着をつけている女には敵わない」と。

広告の写真というのは、誰の目に入ってもおかしくない場所だ。
そこで女が化粧もほとんどせずに、いかにも無印良品らしい綿100%のような生地の下着姿で、そこにさらりと平然と立っている。その上で、強そうな意志を携えてこちらをじっと見つめている。そこに、性の匂いは微塵も感じさせない。

わたしはここで、こう思うのである。
「これは、男の人を意識していない下着なんだな」と。 

もちろん、わたしにだって先ほど述べたようにラクラクなヘロヘロパンツは存在する。2軍どころか3軍のパンツがある、男どころか女にも見せられないレベルの家用にしかできないものもある。しかしそれはあくまで家用であって、このようにバーンと広告という公共の場で見せていいもんじゃねえのよ、というお気持ちがどうしても強くある。

わたしの目から見た無印良品のそのパンツは、どう見ても最初から2軍に置いておくべきものだった。人前で出してはならないものだった。というのも、男性からの視線を全く意識していないこんなパンツでは、人前に立つことなどとても許されるわけないと「わたしは」感じてしまうからだ。

────これってねえ、わたしの大きな欠陥なんですよ。
恋愛対象の性、つまりわたしの場合は男性なんですが、その男性からの視線を気にするあまり。
そして、そこでの“性的な選ばれたさ”を正当化するあまり、「見せる下着は性の匂いをある程度させていなくては」という強迫観念がわたしの中にあるというお話。
それってば、社会構造の中で「モテる」ことが「モテない」よりも良いこととされ、強者となっている現実からの影響を見事に存分に受けまくっているってことでもある。ああ、かなしいね。踊らされているね。

芯のない愚かな女でごめんなさいね、と思う反面、どうしてもわたしはそんな自分に抗えずにいる。
男のためにネイルしているわけでもないし、男のためにメイクしているわけでも、下着を選んでいるわけでもない。……と建前上は強く言いたいのに、結局やっぱりそこには、いややっぱりモテたいです!っていう浅はかな欲望から逃げられずにいる。そんな部分、実は結構ある。

だからわたしは、無印良品の下着を着て公共の場で凛と佇む、その広告に衝撃を受けた。

下着姿なのに(セクシーさを彷彿とさせる“べき”瞬間なのに)、

化粧もほぼしていない。

下着姿なのに(男の人を欲情させるための補助具なのに)、

ぜんぜん可愛くなくて着心地に100%振っている。

そんな下着姿なのに、

モデルの女性はさらりと堂々と表に出てきている。

それがわたしには衝撃的で、わたしの愚かなモテ欲望を見下されたようで、傷ついたのだった。でもね、この世界にはきっと、この無印良品のパンツを履き、それをなんら気にすることなく躊躇なく男の前で脱げる女たちも一定数いる、はずなのだ。

わたしが細かいことを気にして、レースのない下着は男性に見せられないわ!なんて意味不明な論理を力説して展開している間に、彼女らは着心地良さげな無印良品を普段遣いし、ついでにベッドの上でもさらりと堂々と脱いでいると思うと、その事実にわたしは胸が苦しくなった。勝手に、苦しくなった。

そういや、森ガールという男ウケを無視したようなファッションが流行した何年か前、あの時にも近い気持ちになったな。モテを無視して突き進む彼女たちが羨ましい一方で、わたしにはできないわ、と強めに線引きをしていたように思う。
さて、これはなぜだろうか。

若い頃はわたしだって、ロリータファッションが好きだった。保守的な親の目を盗んで、都会のコインロッカーに荷物を預けて着替えて、気の合う友人らとロリータファッションを存分に楽しんだ時代もある。なのに、そのあとに男からの性的な視線とぶつかり、ぐるぐると迷走した末にわたしは、いつしかロリータ服を着なくなった。
だから、己を貫き続けてそのままを愛される、そんな森ガールたちに嫉妬していたのだろうね。そう思うと己の中の感情に、ようやく説明がつく。

なんとも、些細な話である。
無印良品のパンツが別に性的じゃないってだけなのに、男性からの評価を気にして、男性からのモテを意識し過ぎたあまりの愚かな女であるわたしは、これからも永遠に絶対に無印良品の下着を選べない。身につけることはあっても、人前では絶対に見せられない。モテへの風潮に抗うぞ、なんていう社会運動をする気もない。意思もない、流され続けたい。

わかってんのよ、どうせ他人はそこまでまったく見てないって。さらに言えば見せる相手となる男性なんて、もっと鈍感で下着なんか気にしていないのだって。

 

しかし、これが自意識を拗らせた女の行く末。
無印良品の下着広告ひとつでここまで気持ちを揺さぶられた女は、こんな原稿までここに書くに至ってしまう。いやはや、アホでしょ。
広告を見てここまで考えてしまったあと、わたしは即座にお気に入りの高級下着ブランドであるラペルラの公式サイトへ飛び、ずらりと並ぶ妖艶なレースの美しい下着画像を見ながら精神統一に励んだ。色も紫に黒に、なんとも危なっかしい。無印のグレーと黒と白、とは大違いだ。
やっぱり、わたしは性的な匂いのするパンツを履いていないと心がもたないわ。

結局わたしは、無印良品の下着を平気で脱げる女になりたいのに、絶対になれない女なのだ。

その事実と向き合いながら、今日も「モテなんて言葉に踊らされる女は前時代的だ」みたいなことを人前では平然と言いながら、内心ではしっかりと踊らされ続けていくと思う。もうその生き方しか、できなさそうだし。

そんな矛盾の狭間で、今日もわたしはお風呂上がりにパンツを選ぶ。やっぱりモテたいんだよな、ってしっかり自覚しながらね。

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この記事を書いた人
雨宮 美奈子

シンガポール出身、東京在住。
若い頃は自意識と闘い、いまは可愛い我が子と格闘するシングルマザー。
エッセイや小説を書く日々。

とにかく労働が苦手。
実の妹に仕事を押し付けがち。

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nene(ネネ)
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