第一回 駐在妻・Ayaって何者?
皆様初めまして。今回よりアメリカ駐在の備忘録としてブログを書かせていただくことになりました、Ayaです。まずは初回ということで、私のこれまでについてをお話しさせてください。
根っからの九州っ子、好きなお酒は麦焼酎のソーダ割り、福岡大好き芸人(アメ○ーク?)でしたので「将来ここ(福岡)を出て生活する!」という思考は皆無でした。
しかしながら、大学在学中に学んでいた福祉の分野において、本来目指していた自分の将来のお仕事像に迷いが生じ、
「就職も考えるとこのまま曖昧な状態ではいけない……。よし、とりあえず海外留学に行けば何か変わるかも!」
という思いつきから一念発起し、大学一年の終わりからアルバイトを3つ掛け持ちし、とりあえずお金を貯めることを決意。
今思い返すと若さゆえの勢いってすごいなぁと、我ながら感心します。あと体力。遠い目
2年かけて貯金を続け、大学4年生になる前に自分自身で設定していた目標金額に達成。
ただ、留学に行くといっても
どこの国?どれくらいの期間?学生ビザ?ワーキングホリデービザ?
などなど、考えるべきことはたくさんありました。しかしながら当時は大学在学中にワーキングホリデーで留学に行く学生は珍しかったため、「今のうちに海外で働く経験を積む帰国後の自分の強みにもなる!」という強い確信(願望とも言いますね……)のもと、迷わずワーキングホリデービザを選択することを決めていました。そのほか留学前に決めていたことは、
- 期間は一年間とし、必ず大学四年時の一年の休学で帰国し大学をきちんと卒業する
- 自分の安心のため、比較的治安のいいと言われている国に行く
- できれば仕事を決めた状態で渡航する
- ホームステイと語学学校も経験した上で、仕事をする
以上の四つです。当然ですが、自分で必死になって貯めたお金で留学するので、譲れないこと・成し遂げたいことは紙のリストにし、絶対に実りある留学にすると毎日復唱して過ごしていました。10年以上前は今ほどSNSでの情報収取が充実してなかったので、
facebook、ネットで見つけたエージェント会社パンフレットの取り寄せ、無料相談等々を駆使。当時の私が求める全ての条件に見合うエージェントに出会い歓喜したのを覚えています。
そして、その結果留学先に選んだ国はニュージーランドでした!
ホームステイをしながら三ヶ月語学学校に通い、その後は四つ星ホテルにていち従業員としてインターンシップを行うというプログラムでの留学が決定したのです。
当時留学を決意した後がむしゃらに費用を貯めたものの、私の英語力は自己紹介がギリギリのレベルでした……。そう、そもそも私は英語が得意ではなかったのです。
それでも留学に行くと決めていたのは「将来英語が話せる事は絶対に強みになる!」思っていたからなんですよね。なぜそう思ったか?なんとなくです。笑
ニュージーランドに行くことが決まってからの半年間は英会話に通い、大学の空きコマの時間にグラマーの勉強をし、ビザ申請のための国指定のワクチンを接種し書類を揃えたり……そうこうしているうちに、あっっと言う間に出発日になってしまいました。
現地では優しいホストファミリーに恵まれ、最初こそ人見知りを発揮し孤独に過ごしていましたが……勇気を出して声掛けをしまくったことで語学学校でも素敵な友人らに出会うことができ、
インターン先のホテルではネイティブの話すスピードに圧倒され、相手の言葉も理解できず、恥ずかしい思いや悔しい思いをしながら毎日失敗しては反省し修正しチャレンジし……その繰り返しでしたが仲間の助けを借りながら、優しいお客様にお勉強させていただきながら、無事に初めての海外留学生活を終えることができました。(本当にたくさん泣きました。いい意味でも悪い意味でも。笑)
インターン先では住み込み寮だったので、同僚たちとは家族のように毎日密に過ごし友情を育むことができたし、国際色豊かな環境の中で互いの文化も学びつつ、しっかりと英語に浸ることができた最高の経験でした。
この留学で出会ったホストファミリーおよび友人たちは10年以上経った今でもほとんどと繋がっており、大事な存在です。
そんな中でも漠然と帰国後の不安があり、インターン中に「帰国後も日本だけでなく海外の人たちとも関わる仕事がしたい。それってなにがあるんだろう……?」と考え始めました。
すると、ふとYouTubeの広告でシンガポール航空が流れてくるではありませんか。美しくエレガントなCAさんの姿を見て「世界中にいける、このお仕事がしたい!!!」と直感的に思ったのです。
今でも英語が得意と言えるレベルではないかもしれませんが、このツールを使えるようになることで、自分自身に出来ることが増える可能性や、出逢える人の幅がグッと広がってゆくと思うと、これからも勉強を続ける意義を強く感じました。語学は日歩の積み重ねでしか上達の道はない、と痛感しましたので。
自分で振り返りながら「あれ、私っていつの時代も直感で生き方決めすぎじゃない?」と恐ろしくなったのは秘密です。
約10ヶ月のニュージーランド留学を終えて日本に帰国した後は、卒論と就職活動のスタートでした。
CAを目指す、といっても何のノウハウも分からなかった私はニュージーランドでのインターン時に得たお給料をCA予備校に注ぎ込み準備を始めたのです。
また、恥ずかしながら予備校では「ダイエット」の必要性をご指摘いただき、ニュージーランドでぷくぷくに幸せに育った豊満ボディを絞る項目も追加されました……。
(その後CA受験が本格化するまでの約半年の準備期間で15キロのダイエットに成功したのです。もしかしてこれが一番すごい……?)
CAを目指し始めた当初はシンガポール航空・エミレーツ航空・キャセイパシフィック航空・大韓航空などなど、外資系航空会社を第一志望にしており、日系の航空会社で働くイメージは全くありませんでした。というものも、留学から帰国したばかりで「英語を多く使う環境に身を置きたい」、「日系の航空会社は絶対自分には合わない」という思い込みがあったためです。しかし、その予備校に通う中で講師の方に、
「せっかくCAを目指すなら自分で可能性を狭めないで、ぜひ日系航空会社にも挑戦しなさい」
と言われたことで先生が言うなら試しに……と思い、当時募集が行われていた某日系航空会社に履歴書を送ることにしたのです。それが自分の人生の転機になるとはその時考えもしていなかったので、当時の先生にはとても感謝しています。
履歴書を送ってからは一次試験、ニ次試験、あれよあれよと言う間に最終試験まで進み……最後に内定のお電話をいただいた日はバイト終わりで、某カフェチェーン店で立ち上がって電話越しに涙ながらにお礼を伝えたのを鮮明に覚えています。
こうして就職を機に上京し、某日系航空会社にてCAとして国内・国際線を乗務し世界中を飛び回っておりました。
西鉄バスで育ってきた福岡県民にとって都内の電車は迷路のようで、毎日怯えながら乗り換えなどを駆使して通勤しておりました。
訓練は厳しかったですし、実際に乗務を始めてからも時差ボケやらシフト制のスケジュールで毎日大変でしたが、それ以上にやりがいや達成感のある大変素晴らしいお仕事でした。
定年まで頑張ってフライトし続けようと思っておりましたが、適度にぶっ飛んだ面白い夫と出会い、結婚というイベントを経験し、かと思えば一昨年夫の仕事を機にCAを退職し、シンガポールに移住し海外生活をスタートさせておりました。そんな中、今年の夏からはなんとアメリカ駐在が決まり、約二ヶ月前に東海岸に引っ越してきました!
振り返ると移動や変化でいっぱいの怒涛の人生を過ごしていますねえ…人生ってわからない
しかも我が家には猫様が2匹いるので、海外のお引越しは動物検疫の手続きやら書類の用意やらで本当に大変でした。なにより猫様達のストレスがすごかっただろうなと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。(たくさんご褒美のオヤツを献上させていただきましたよ)
十数時間の長いフライトを終え、アメリカに到着してすぐ感じたのは、
空が広い!!!!!!道路が広い!!!!というか何もかも大きい!!!!
ということです(語彙力……)
日本を出て東南アジア、さらにはアメリカ大陸と、ゲルマン民族顔負けの大移動を繰り広げる我が家ですが図太く強く、家族みんなで楽しく過ごしていきたいと思っております!
アメリカには日本未上陸のコスメブランドもたくさんあるので、出来る限りチャレンジしていきたいと思っています。みんな大好きSEPHORAも近所にあるので近々訪問する予定ですよ〜!
比較的日本に距離も近く、日系のスーパーやデパートなどが多数揃っていたシンガポール。慣れ親しんだものが手に入る利便性の高い環境からは少し離れてしまいましたが、だからこそ、ここでしか得られない経験をプラスに捉えて頑張っていきます。(そう思い込もうとしてます、たまにホームシックになるので涙)
また、私が住んでいる地域ではブルワリーやワイナリーも多くあるのでそちらの体験レポもブログに残していきます!お酒好きな方には喜んでいただけるかと(にっこり)。
今月はハロウィンがあるので街中装飾がいっぱいで、散歩の時間も見飽きないですね。各家庭それぞれでも個性のある飾りがなされていて本番までワクワクです。スーパーマーケットでも、店頭に大きなカボチャが並んでおり圧巻ですよ!
決して毎日キラキラはしていないかもしれませんが、日々の海外生活の情報を皆様に楽しんでいただけるように発信していきますのでよろしくお願いします。温かい目で見守っていただければ幸いです。
それでは、またのご搭乗をお待ちしております!
Aya